ルーツは堺の刀鍛冶。

今日書くことは口伝で残されたことであり信憑性は有りません。

(曽祖父が言うてた&曽祖父が祖父から聞いた等)

そこにネット上から拾い上げた情報を加味して行きます。

ホームページの会社案内の沿革にも書いてるのですが自分が知ったキッカケを含めて。

 

自分が学生だった頃(30年以上前)聞いたことが有ります。

「高知市内の菜園場に有るうちと似たマークの釣針屋さん、うちと関係有るん?」

①『そこは丹吉さんと言うとこで播州地域のレジャー用釣針の元祖。うちとは技術のルーツが違う』

②『室戸に有る同業者は、そこの派生らしい』(今はしてません)

③『うちの技術のルーツは堺の刀鍛冶。』とのこと。

これが自分が知る弊社技術のルーツの取っ掛かりです。

 

①高知にはりまや橋が有り、それは播磨屋と言う播磨地域(播州)が拠点の商人が架けた橋。丹吉さんの技術が播州に伝わった一因なんだろうなあ。と想像します。

高知観光に来た姫路の知り合いに、はりまや橋と釣針のルーツを合わせて説明した時、意外にも好評だったのを今思い出しました😊

 

②20年位前に廃業されてます。

室戸までは伝わっても、そっから先の甲浦まで伝えるには江戸時代には厳しかった?🤣

播州の方が遠い気もしますが?🤔

まあ、そもそも必要とされていないのに伝える必要も無し。

 

③仕事始めた頃に詳しく聞きました。

先祖は土佐藩の下級武士で大坂(←ちゃんと坂、自分歴史好きです!)に

出向していたとのこと。

(甲浦が土佐藩から水路で大坂に向かう出発地だったのも有るでしょう)

そこで大政奉還を迎え「武家政治が終わる!仕事無いから職探し!」

(こんな軽くはないか😅)

それで大坂近くの堺の刀鍛冶に弟子入りしたそうです。

その技術を甲浦に持ち帰り細々と釣針屋をしていました。

時代は流れ高度成長期の頃。

200海里が設定されていない頃の大型船での遠洋マグロ延縄漁は全盛期。

それに対応する為に工程の自動化に成功し、

そこから現在のマグロやカツオ等の大型魚メインの職漁専門の釣針メーカーとなりました。

 

書いてて思いました。

先代達は時代の流れに合わせて来たんですね。

自分も時代の流れに合わせて頑張って行きます。

 

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