下魚から海のダイヤモンドへ。マグロと人類の闘いと未来
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今や「海のダイヤモンド」と称され、世界中の食通を唸らせるマグロ。しかし、その輝かしい地位は、決して昔から約束されたものではありませんでした。
私たち株式会社小松啓作商会は、創業から150年以上にわたり、この偉大な魚と対峙する漁師たちを支える釣り針を作り続けてきました 。私たちの歴史は、マグロと人類が歩んできた、技術革新と価値観の変容、そして資源をめぐる闘いの歴史そのものと深く重なります。
江戸の嫌われ者?「ヅケ」が起こした食文化の原点回帰
現代の価値観からは想像もつきませんが、江戸時代の江戸において、マグロはタイやカツオより格下の「下魚」、時には最下級の魚として扱われていました 。その理由は様々あります。
巨大な体は運搬が困難で、赤身はすぐに黒ずみ鮮度が落ちやすく、さらに、武士の間では「シビ」という呼び名が「死日」を連想させ、縁起が悪いと敬遠されたという説もあります 。
しかし、この評価は江戸から離れた地域では全く異なりました。例えば、海のない山梨県では、駿河湾で獲れたマグロが新鮮なまま運べる限界の地、「魚尻点(うおじりてん)」であったため、古くから貴重な食品として珍重されていました 。
この江戸での不遇な状況を覆したのが、江戸中期における濃口醤油の普及です。マグロの赤身を醤油に漬け込む「ヅケ」は、保存性を高めると同時に、醤油のアミノ酸がマグロの旨味成分であるイノシン酸と結びつき、味を飛躍的に向上させました。この技術革新により、マグロは屋台寿司のネタとして爆発的な人気を博し、江戸の庶民の味となりました。
捨てられていた「トロ」の真実
驚くべきことに、現代で最も価値が高いとされる「トロ」は、当時全く評価されていませんでした。脂が多すぎて醤油を弾いてしまい、当時の最先端技術であった「ヅケ」に適さなかったこと、そして赤身以上に傷みやすかったことから、「猫またぎ」と蔑まれ、捨てられるか肥料にされる運命でした 。食材の価値が、そのものの味だけでなく、時代の保存技術や調理法と結びついていることを示す、象徴的な事実です。
技術革新が変えたマグロの価値と漁業の姿
明治時代に入ると、漁船への動力エンジンの搭載が本格化し、漁業は近代化の道を歩み始めます 。航行能力の向上は漁場を沖合へと拡大させ、延縄漁の機械化も相まって漁獲量は急増しました 。
そして1960年代、マグロの歴史における最大の革命が起こります。船上で漁獲したマグロを-50℃以下の超低温で急速冷凍する技術の実用化です 。これにより、インド洋や大西洋といった遠洋で獲れたマグロも、獲れたての鮮度で日本の食卓へ届けることが可能になりました 。
この冷凍技術の普及こそが、江戸時代から続いていたマグロの価値観を180度転換させました。かつて腐りやすいという理由で捨てられていた「トロ」が、その濃厚な脂の旨味を損なうことなく消費者に届けられるようになり、日本人の食生活の洋風化とも相まって、一躍高級食材の頂点へと駆け上がったのです 。ここに、長らく赤身が主役であったマグロの世界で、トロが王座につくという価値の逆転が起こりました 。

世界へ広がるマグロ食文化の多様性
日本の寿司文化が世界に広まる過程で、マグロの価値基準もまたグローバル化しました。しかしそれは、日本の文化が一方的に受け入れられたのではなく、各地域の伝統的な食文化と融合し、新たなマグロ料理を生み出す複雑なプロセスでした。
アメリカでは、東海岸で価値がなく捨てられていたクロマグロのトロを、先駆者たちが空輸して西海岸の寿司店で提供したことが、生食文化の起爆剤となりました 。
美食の国スペインでは、伝統的なマグロと野菜の煮込み「マルミタコ」 に加え、近年では刺身(SASHIMI)も定着。しかし、欧米では依然として赤身を好む傾向が強く、最先端のマグロ専門レストランでは、大トロをソテーにし、柑橘系のソースで脂っこさを和らげる工夫がなされています 。驚くべきことに、チョコレートデザートの中に塩味を効かせたマグロを入れ、味のアクセントとして楽しむ料理まで存在するようです。
アジアでも独自の進化が見られます。台湾有数の水揚げ地である屏東県東港では、毎年4月から7月にかけて水揚げされる新鮮な生のクロマグロを求めて多くの人が訪れます 。韓国ではマグロ専門店が人気を博し、刺身をごま油と塩、そして韓国海苔で巻いて食べるという独自のスタイルが確立されています 。
資源枯渇との闘い 国際社会の挑戦と日本の役割
世界的な需要の高まりは、皮肉にもマグロ資源を脅かしました。特に、高値で取引されるクロマグロやミナミマグロは乱獲の対象となり、1990年代には資源が激減 。ミナミマグロをめぐっては、オーストラリアなどが日本を国際海洋法裁判所へ提訴する事態にまで発展しました 。
この危機を受け、「大西洋まぐろ類保存国際委員会(ICCAT)」など複数の地域漁業管理機関(RFMOs)が設立され、国別の総許容漁獲量(TAC)を設定するなど、厳格な資源管理が始まりました 。
この国際的な協力は着実に成果を上げています。特に太平洋クロマグロは目覚ましい回復を遂げ、2024年の科学的資源評価によれば、産卵能力のある親魚の資源量は約14.4万トン(2022年時点)に達し、国際的な回復目標(初期資源量の20%にあたる約12.5万トン)を上回りました 。この結果を受け、近年、大型魚を中心に漁獲枠の段階的な増枠が決定されています 。
持続可能な漁業を支える釣り針の哲学
資源管理のもう一つの重要な柱は、漁法そのものの環境負荷を低減する取り組みです。巨大な網で群れを丸ごと囲い込む「巻網漁」は非常に効率的ですが、ウミガメやイルカ、そしてまだ産卵経験のないマグロの未成魚まで混獲してしまう問題が指摘されています 。
こうした課題に対し、古来から伝わる「一本釣り」や、長い幹縄に枝縄を付けその先に多数の針を付ける「延縄漁」といった、より選択性の高い漁法が再評価されています 。そして、これらの漁法の持続可能性を左右するのが、私たち作り手がこだわり続ける釣り針の性能です。
混獲を減らすための形状進化:サークルフック
延縄漁におけるウミガメの混獲を減らすため、針先が内側に入り込んだ「サークルフック(ねむり針もしくはムツ釣)」の普及が進んでいます 。この特殊な形状は、ウミガメが針を飲み込んでしまうのを防ぎ、口の端に掛かりやすくすることで、万が一混獲されても生存率を高める効果が期待されています 。対象魚であるマグロの釣獲率を大きく変えることなく、ウミガメ保護に努めます。
160年の伝統と技術で「使い続けられる針」を作る理由
私たち小松啓作商会は、創業以来、漁師の皆様の声に耳を傾け、その時代が求める釣針を追求してきました。現代の最大のテーマである「持続可能性」に対し、私たちは「使い続けられる針」という答えを提示します。
私たちが製造するステンレス製の釣り針は、従来のメッキ針のように錆びて頻繁に交換する必要がありません。針先が摩耗しても、研ぎ直すことで再使用できます。一本の針を長く大切に使い続けることは、漁師のコストを削減するだけでなく、海に廃棄される漁具を減らし、未来の海を守ることに直結します 。
さらに、私たちはステンレスの防錆性能を最大限に引き出すため、最先端の「電解研磨」技術を導入しています。これは、電気と化学の力で表面をミクロン単位で平滑化し、素材本来の耐食性を極限まで高める技術です 。160年の伝統技と最先端技術の融合。それこそが、貴重な一匹を確実に釣り上げ、資源への敬意を払うための私たちの哲学です。
マグロの未来 食卓の選択肢が広がる時代へ
持続可能なマグロ生産の切り札として期待されるのが、天然資源に依存しない「完全養殖」です。2002年、日本の近畿大学が32年もの歳月をかけて世界で初めてクロマグロの完全養殖に成功したことは、歴史的な快挙でした 。しかし近年は、天然資源の回復や餌代の高騰により、採算性の面で新たな課題に直面しています 。
さらにその先を見据え、植物由来の原料で作る「プラントベースまぐろ」 や、マグロの細胞を培養して身そのものを作り出す「細胞培養」といった最先端のフードテックも登場しています 。
未来を釣る、最高の釣り針を
マグロと人類が紡いできた物語は、豊穣な海の恵みをいかに享受し、守り抜くかという、絶え間ない挑戦の記録でした。その歴史の傍らには、常に私たちのような道具の作り手がいました。
国際的な資源管理、完全養殖や代替マグロといった新たな技術、そして現場で使われる一つ一つの道具の地道な進化。マグロ漁の未来は、これらの総和によって形作られます。
私たち小松啓作商会は、160年の伝統に磨かれた技と、未来を見据えた革新を融合させ、持続可能な漁業を支える最高の一針をこれからも魚を釣る皆様にお届けし続けることをお約束します。それこそが、豊かな海の恵みを未来へと繋ぐための、私たちの使命です。



